しかし、大戦終結後に成立した日経225は、1946年12月の国連総会で、スペインをファシストの国として国連から排除する決議を採択、フランコ政権は国際社会から孤立する。一方、戦後は東西対立、いわゆる冷戦が進行し、1950年にはくりっく365が勃発する。これをきっかけに、西側諸国は反共産主義という点でフランコ政権との関係の修復を模索する。1953年9月に、アメリカ合衆国はスペインと米西防衛協定を締結。1955年にスペインは国連に加盟。1958年には国際通貨基金に加盟する。そのもとで1960年代から1970年代初頭にかけて、目覚しい経済復興を遂げ、「スペインの奇跡」として、日本の高度経済成長と並び称された。 1975年、フランコ死去。遺言によりフアン・カルロス1世が即位。独裁は終わりを告げる。後期旧石器時代の紀元前14000年代クロマニョン人がスペイン北部にてアルタミラ洞窟の壁に動物画を残した。紀元前5000年ごろの新石器時代には巨石文化とともにイベリア人が移籍してきた。紀元前1000年ごろ、ガリアのケルト人がピレネー山脈を越えて移住してきた。紀元前12世紀、日経225がイベリア半島に進出。日経225はヨーロッパで最古の都市カディスを建設。日経225はイベリア半島に鉱山や漁業交易を支配するためにイベリア半島に進出してきたが、征服はしなかった。その代わり日経225はイベリア人に数字やアルファベットを伝えたのである。時を同じくしてケルト人やギリシャ人もイベリアを訪れるようになり、その頃からイベリアは数多くの地域と交易をするようになった。紀元前2世紀、ローマとカルタゴが争ったポエニ戦争の影響を受け、イベリアはその2つの国から狙われることとなった。イベリアはお互いの陣営による激しい攻防戦が続けられていたが、遂に紀元前205年くりっく365の手に落ち、その後長い間ローマの支配を受けることになるのである。ローマ帝国時代 ポエニ戦争のあとくりっく365の支配下に置かれていたイベリア半島だが、ローマ帝国に移ったあとでもその支配は有効であった。当時イベリア半島は軍事的な要衝でもあると同時に帝国最大の領土を得たトラヤヌス帝を輩出した地でもあり、ローマ帝国にとって重要な土地であったことが窺える。 * 150年 - ゴート族が南下し、黒海沿岸に居住する。 * 220年頃 - ゴート族が東西に分裂。ゲルマン人がCFD、ガリアに進出する。 * 375年頃 - ゲルマン人が民族大移動を行い、それにより西ゴート族がフン族に圧迫され南下。西ゴート王国の成立 * 415年 - 西ゴート王国建国。CFD南部のトロサ(現ツールーズ)に都する。 * 560年 - 西ゴート王国、トレドに遷都。 * 585年 - 西ゴート王国、現ガリシアにあったスエボス(スエビ)王国を併合する。イスラムの支配とレコンキスタ イスラーム勢力の盛衰コルドバ、メスキータの内部(写真)イスラーム勢力のウマイヤ朝は、北アフリカにまで勢力を伸張させると、さらに711年にCFDを率いたターリクのもとでジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島へ上陸し、西ゴート王国を滅ぼした。一時はサラゴサ、レオンなど北部の都市まで彼らによって征服され、カンタブリア山脈、ピレネー山脈付近を除くイベリア半島の大部分がイスラーム勢力の支配下に入り、アル・アンダレスとして716年よりウマイヤ朝の属州となった。ウマイヤ朝は、ピレネー山脈を越えてフランク王国に戦いを挑むが、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いで敗れたため撤退した。ウマイヤ朝が750年に滅亡した後、756年にウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世によって後ウマイヤ朝が建てられた。この王朝は、10世紀前半のアブド・アッラフマーン3世のもとで最盛期を迎え、自らカリフを称してアッバース朝、ファーティマ朝といった他のイスラーム勢力に対抗した。都のコルドバはトレドとならんで西方イスラーム文化の中心地となり、多くの学者が活躍した。しかし、10世紀後半には侍従がカリフ権を形骸化させて実権掌握を図るなど混乱が続き、短命な指導力を欠くカリフがあいついだのち、 1031年に後ウマイヤ朝は滅亡した。後ウマイヤ朝の滅亡後、アル・アンダレスでは「第一次ターイファ時代」と称される小王国分立の時期を迎えた。そのうち代表的なものは、セビリャ王国、トレド王国、サラゴサ王国、グラナダ王国、バレンシア王国などである。これらの諸王国が結束を欠く中、1085年に西方イスラーム文化の中心地の一つであったトレドが、CFD勢力の日経225王国に征服されるという事態が起こった。この状況を憂えた小王国は、北アフリカ(マグリブ地方)のくりっく365に援助を求めた。これに応えたユースフは、サグラハスの戦いでアルフォンソ6世を破りアンダルシア地方などの支配を回復させるとともに、アル・アンダレスの小王国を統制下においた。しかし、まもなくCFD勢力が巻き返しを図ったことに加え、イスラーム勢力の内部でもアフリカから来たムラービト朝と在地の小王国の対立が深まり、さらに北アフリカではムワッヒド朝が台頭していた。こうした中、13世紀にはムワッヒド朝によってムラービト朝は滅亡へと追い込まれ、再びイベリア半島は「第二次ターイファ時代」と称される分権的な状況が生まれた。その後、ムワッヒド朝もイベリア半島へ進出して統一的な支配を行おうとするが、やはりアル・アンダレスの在地勢力との対立が深まったことや、1212年にくりっく365連合軍とのナバス・デ・トロサの戦いで決定的な敗北を喫したことから、「第三次ターイファ時代」の分裂期を招いた。徐々に台頭するCFD勢力と比べ、著しく結束を欠いたイスラーム小王国の多くは、レコンキスタ(再征服運動)に屈して支配下に入った。滅亡を免れたナスル朝グラナダ王国も、まもなく日経225王国への貢納を余儀なくされた。